1 名前:Egg ★:2018/02/06(火) 16:53:49.64 ID:CAP_USER9.net

【No Ball,No No Life】

サッカーでよく語られるマリーシアについて考えてみる。勝負を制するには、ゴールを奪わなければならない。では、ゴールを奪うためにはどうしたら良いか? 守備の視点でみれば、ゴールを奪われないためにはどうしたら良いか? 

状況に応じて相手を混乱させるアイデアや対峙(たいじ)する選手の想像を上回る判断や動きが必要で、試合中は有り得ないが、まったく同じ条件のもと、技術力、身体能力などに差がなければ1対1の攻防に勝利するのはより発想力がある側だと考えられる。

これは「個」の攻防にとどまらず、「組織」の攻防であっても同様で、有利に立つのはやはりアイデアや発想力がある側になる。


 サッカーにはマリーシアが必要--。外国籍監督、外国籍選手だけではなく、ときには日本人監督や選手たちも長くそう指摘してきた。周知の事実として、日本サッカーは数十年も前からマリーシアに欠ける部分があり、今も変わらずに受け継がれている。

 そして、アイデアの不足と、マリーシアのなさはイコールで結べると考える。マリーシアはサッカー界で“ずる賢さ”として理解されているが、そもそも勝負に勝つことを考えたらさまざまなアイデアが必要で、とくにゴール前の攻防では相手を欺く判断、動きが求められる。

かみつく、あからさまなシミュレーションなどは論外だが、空中戦でタイミングをずらす、一歩でも先にボールに到達するべく、早めにボディーコンタクトを仕掛ける。逆に、そのボディーコンタクトを予想して先にポジションを取り、ファウルを誘うなど…。これらは勝つため、ゴールを奪うため、または失点しないためのアイデアだが、一方ではマリーシアだとも受け取れる。

 試合終了間際を迎えて、時間を消化するプレーに嫌悪感を覚える人もいるだろう。だが、残り数分で1点をリードしていたら有効に時間を使うのは勝利への近道となるアイデアで、なんらとがめられるものではない。無論、状況によって追加点を奪う可能性が大きければ、そうすればよい。ただ、ゴールできずにカウンターを受けて失点したときのダメージは計り知れない。人は何事も経験から学ぶことが多く、日本サッカーには“ドーハの悲劇”という苦い記憶がある。

「相手がゴール前を固めてどうしてもゴールが奪えないときは、ペナルティーエリア内で接触があったときにファウルをもらい、PKを得るのもひとつのやり方だ」

 これは、日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督の言葉である。本来、具体的な方法は口に出して言うべきことではないが、アイデア(=マリーシア)の欠如が目についたすえの発言だったのだろう。追加してフォローしておくと、これは決してシミュレーションを推奨している言葉ではない。あくまでも、勝つためにはそういうアイデアも必要だという極例を示しただけだ。

 相手を欺く、相手をだます。例えピッチ内のこととはいえ、例えば育成年代の選手たちにその方法について具体策を指導するのは教育上やはりためらわれる。勝つためにはどうすればよいか、どういうプレーが必要か? 個々の選手が勝利への意欲を強く持ってプレイすることで、自然といろいろなアイデア(=マリーシア)が出てくるはずである。

 ずる賢さという意味が先行しているため、マリーシアという言葉に嫌悪感を持つ人もいるだろう。

しかし、この言葉には“駆け引き”を表す意味もある。サッカーにマリーシアが必要なのかどうかを考えているようでは、先へ進めない。すべては、勝つため、ゴールを奪うため、失点しないための判断で、勝負どころの駆け引きで後手を踏んでいると勝利は得られない。

ずる賢いプレーってなに? と難しく考える必要はない。勝つためには、状況に応じて柔軟な判断、豊かなアイデアが必要だということに過ぎない。(飯塚健司)

2/6(火) 15:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180206-00000515-sanspo-socc
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1517903629
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