1 名前:豆次郎 ★@\(^o^)/:2017/08/28(月) 13:37:49.48 ID:CAP_USER9.net

2006年ドイツW杯のアジア最終予選。日本はホームで行なわれた初戦の北朝鮮戦を2-1で競り勝つも、続く2戦目、アウェーのイラン戦は1-2で落とした。

 敗因のひとつは、突然のシステム変更にある。ジーコ監督は、それまで3バックで結果を出してきたにもかかわらず、イラン戦では4バックを採用した。試合3日前の練習中には、守備のやり方を巡って中田英寿と福西崇史が言い争いになり、チーム内は混乱した。そんな状況にあっては、好結果を望むべくもなかった。

 イラン戦の結果に、最も危機感を覚えたのは選手たちだった。自分たちのやり方で戦いたい――そうした意識が高まって、バーレーン戦では3バックに戻すことになった。

 今まで結果を出してきた自信のあるシステムであり、選手たちも気持ちを整理して試合に臨める。4バックのように、あれこれ迷うことがないのは何より大きかった。

 しかし、大きな問題がひとつ、持ち上がった。

 チームの攻撃の軸は中村俊輔だった。3バックでは、2トップでトップ下には中村が入る。通常であれば、その後ろに2枚のボランチが配置される。すると、中田のポジションがなくなってしまうのだ。

 ただし、バーレーン戦はイラン戦で福西とコンビを組んだ小野伸二が出場停止になっていた。

 このとき、福西の頭の中ではいろいろな考えが巡っていた。「いったい、誰が(もう1枚の)ボランチに入るのか」あるいは「中盤の選手の配置を変えるのか」と。

「監督の考えだから選手は従うしかないけど、ボランチには(小野が不在でも)本職のイナ(稲本潤一)や、ヤット(遠藤保仁)がいた。彼らの気持ちを考えると、ちょっと複雑だった。でも、もうやるしかない。

 ヒデの性格は理解しているし、プレーのよさもわかったうえで『さて、どうしようかな』ってすごく考えたけど、最終的には自分を抑えてヒデに自由にやってもらうしかなかった。ヒデはフィジカルが強いので(相手に)飛び込んでボールが取れるし、そこで相手のバランスが崩れたら近づけばいい。バーレーン戦は3バックなので、後ろをそれほど気にする必要もなくなったしね。

 でも、4バックだったらヤバかった。後ろと前、さらにヒデとの横の関係も考えないといけないんで、それは相当キツい。ヒデとのボランチは3バックだったからできたと思う」

 ジーコ監督が中田を重用したように、チーム編成はそもそも海外組が中心だった。実は、それがチームの完成度を減速させる要因になっていた。

 ジーコ監督は、国内組が合宿でいくら調子がよくても、親善試合で結果を出しても、W杯予選の試合では海外組を起用した。その結果、合宿などでは国内組が中心になって守備戦術などを築いていっても、試合のときは中盤から前の選手はごっそり海外組に入れ替わってしまうので、またイチから、ということになってしまうのだ。しかも、コンディションが悪くても海外組を起用した。

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引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1503895069
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