1: 的井 圭一 ★@\(^o^)/ 2017/06/09(金) 08:05:37.39 ID:CAP_USER9 BE:511393199-PLT(15100) どれが一番辛かったのだろう。
2000年、アジアカップの決勝で途中出場したものの7分で交代させられた。
2002年、ワールドカップの前にはFWではなく右ウイングで起用される。
本大会では初戦で首を痛め第3戦で動けなくなった。
2006年、ワールドカップの前に右足を骨折する。
本大会ではクロアチア戦でゴールを外し、その後の「急にボールが来たからビックリした」というコメントの一部が一人歩きした。
2007年、10年間在籍した鹿島を離れて京都へ移籍。
2011年、契約満了となった京都から仙台へと移る。
そして2014年シーズンを最後にユニフォームを脱いだ。

「オレが」という我の強いプレーよりも味方のチャンスを増やすスタイルだった。
それゆえに誤解を生みやすく、謂れなき非難もあったに違いない。
もともとあまり饒舌なほうではない。辛く見えた過去を寡黙なストライカーは、じっくり考えながら丁寧に答え続けてくれた。
そして最後にインターネットの上で見かける、「サッカー選手のお嫁さんの理想は柳沢敦の嫁さん!!?」という話について聞いてみた。
柳沢夫人が芸能の仕事をしているにもかかわらず、移籍先に必ず付いていく仲睦まじい様子が評判となったものだ。本人たちは知っているのだろうか。
柳沢はインタビュー中、ずっと真顔だったがその質問では感情を隠さず、満面の笑みになった。

「急にボールが来た」の真意とは

僕のサッカー人生で辛かったこと……。僕はね……辛いことは……どれも同じように辛かったですね。
やっぱり僕だけでは乗り越えることができないものもありました。
そんなとき周りの人の助けがあって、乗り越えられてきた。
……ホントに。他の人から見れば辛いことがたくさんあったと思われるかもしれませんけど、その中で支えてくれる人が多かったっていうのが、僕の人生ですかね。

フィリップ・トルシエ監督のとき、81分に途中出場して88分に交代させられたとか、右ウイングで使われたりとか……。
あのとき、みんな心配してくれてましたけど、僕は監督を悪くなんて考えないんですよ。

〈中略〉

2006年ワールドカップのときは、「急にボールが来た」という言葉を取り上げられましたけど、
あれは加地亮がシュートしようとしていたので、そのこぼれ球に詰めようと動いていったところを、ボールが僕のところに来たという状況でした。

あれで勝てなかったということを言われたけど……。それが代表というものだし、それがワールドカップだなと思います。
大きな舞台で、一つのミスだったり、一つのゴールだったり、それがその人の人生を大きく変えていくという……。そういう意味では本当に大きな大きな舞台なんです。

何かを恨むとかはなかったんです。よく、「持ってる」「持ってない」というのがありますけど、僕はある意味では「持ってる」し、ある意味では「持ってない」んじゃないでしょうかね。
こういう世界にいると、起こってしまったことはどうしようもないんで、それを先にどう繋いでいくかという思考回路を持つようにしているんです。

辛かったときは、周りの人たちが助けてくれました。前に向かせてくれたというか……終わったことをいくら考えても何も解決しないですから。
そういう意味では前に進んでいかなければいけないし、歩みを止めてはいけない。選手としてこれから先、どうしてくかというのを、みんながサポートしてくれましたね……。



no title


全文・続きはソース先で
あのときボールは急に来た……柳沢敦が振り返る現役時代の記憶 - ぐるなび みんなのごはん 2017-06-08
http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/football/4041

引用元: http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1496963137/

続きを読む →ranking

続きはこちらどうぞ(掲載サイトへ)

[Twitterでの反応]
→ranking

続きはこちらどうぞ(掲載サイトへ)