1 名前:Egg ★@\(^o^)/:2017/05/27(土) 09:28:37.20 ID:CAP_USER9.net

川口能活、41歳。彼のサッカー人生は、言い換えれば、日本代表の“世界挑戦”の歴史と重ね合わせることができる。絶対に負けられない戦いのなかで、彼はどんなことを考えていたのか。「川口能活クロニクル」と題した、日本サッカー界のレジェンドが振り返る名勝負の知られざる舞台裏――。
 
第7回:1997年フランス・ワールドカップ アジア最終予選 第3代表決定戦
        日本 vs イラン
 
■日本サッカー史上もっとも重要度の高い一戦
 1997年11月16日――。この日は日本のサッカーファンなら誰でも知っていることでしょう。
 
“ジョホールバルの歓喜”と呼ばれたフランス・ワールドカップ・アジア最終予選・第3代表決定戦は、日本初のワールドカップ行きが懸かった一発勝負の試合でした。
 
 当時、日本サッカー界は“崖っぷち”の状況にありました。4年後、日本は韓国との共催という形で、ワールドカップ開催を迎えることが決まっていました。歴史を振り返っても、自国開催で初出場となる国は一度もありません。サッカー史に残る不名誉な歴史を作ることなんて、誰も望んでいませんでした。
 
“ドーハの悲劇”から4年。是が非でも、フランス大会で初出場したい――。連日のマスコミ報道の過熱ぶりを見ても、文字通り、日本国民の期待を一身に受けて臨んだ一戦。これまで日本はいろんな大事なターニングポイントとなる試合を迎えてきましたが、重要度で言えば、日本サッカー史上もっとも高いゲームだったと言っても過言ではないでしょう。
 
■イランの攻撃力は脅威だった
 当時、僕は22歳でした。若いからこそ勢いでプレーしていた部分はありました。1年前にはアトランタ五輪でブラジルに勝ったという自信もありました。日本中の期待を背負い、重圧と戦うことには慣れていたつもりでしたが、3か月間におよぶ長く厳しい最終予選をただガムシャラに戦ってきて、イランとの第3代表決定戦へとたどり着いたのです。
 
 中立地のマレーシアで開催されたイランとの一戦は、ご存知の通り、延長戦にもつれるほどの厳しい戦いとなりました。
 
 舞台となる中立地マレーシア・ジョホールバルには、およそ2万人の日本のサポーターが駆けつけてくれました。ホームの雰囲気のなかで戦えたのは、僕たちにとって大きな力になりました。
 
 当時、イランはアジア最強だと思っていました。日本は全員がいわゆる国内組の選手でしたが、対するイランは、ダエイ、アジジ、マハダビキア、バゲリなど、ブンデスリーガでレギュラーとしてプレーしている選手が多かった。とくに攻撃力は日本より上とも言われていましたから、無失点で終えることはできないだろうなと思っていました。

つづく

SOCCER DIGEST Web 5/26(金) 17:25
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170526-00026144-sdigestw-socc
2 名前:Egg ★@\(^o^)/:2017/05/27(土) 09:28:51.51 ID:CAP_USER9.net

■神がかっていたヒデのパフォーマンス
 案の定、点を取り合うシーソーゲームの展開となりました。日本が先制したものの、その後、イランに2失点を喫し、一時はリードを許しました。そんな史上もっとも重要度の高い試合での息もつけない展開のなか、最高のパフォーマンスを見せてくれたのが、ヒデこと中田英寿でした。
 
 イラン戦からちょうど20年の月日が経ちましたが、歴代の日本代表選手のなかでも、あそこまでのパフォーマンスを見せた選手はおそらくいないでしょう。
 
 アトランタ五輪から始まり、いろんなところで一緒の舞台で戦ってきましたが、あの試合でヒデはまさに異次元の領域へと行ったな、と思いました。
 
 メンタル、フィジカル、テクニック。すべての面で誰よりも突出していました。初戦のウズベキスタン戦から数えて9試合目となるイラン戦。疲労との戦いは避けて通れないものでした。しかし、ヒデにとって疲労はまったく無縁のようでした。時間の経過とともに、彼の存在感が大きくなってくるのです。後ろから見ていて、本当に頼もしく感じていました。
 
■ヒデがいなかったらワールドカップに出られなかった。
 2対2で迎えた延長戦で、みんなの足がほとんど止まっていましたが、ヒデの動きは止まらない。それどころか、ピッチ上は彼の独壇場と化していました。
 
(城)彰二、呂比須(ワグナー)、岡野(雅行)さんと送り込んだ岡田武史監督の采配が日本の勢いを後押しするなか、岡野さんのゴールデンゴールが決まる運命の119分を迎えることができたのも、彼の活躍なくしてあり得ません。中山(雅史)さんの先制点はヒデのスルーパスから生まれ、ヘッドで決めた彰二の同点ゴールも、ヒデのセンタリングによるもの。そして、岡野さんのゴールデンゴールも、ヒデが放ったシュートを相手キーパーが弾いて生まれたのですから。
 
 もっとも、ヒデがのびのびとプレーできた背景には、カズ(三浦知良)さん、井原(正巳)さんをはじめとしたベテランの人たちが、黒子となってチームを支えてくれたことも見逃せません。ベテランを中心にチームがまとまっていたからこその初出場だったと同時に、ヒデがいなかったら日本はワールドカップに出られなかったこともまた事実だと思います。
 
■参考資料
フランスW杯アジア最終予選 第3代表決定戦
1997年11月16日21:03@マレーシア・ジョホールバル
日本 3-2 イラン
[得点]日=中山(39分)、城(75分)、岡野(118分) イ=アジジ(46分)、58分(ダエイ)
 [警告] 日=井原(27分) イ=アザディ(17分)、ハクプール(24分)、マハダビキア(34分)、アベドザデ(87分)、ミナバンド(106分)、アジジ(107分)
 
メンバー:GK20川口能活、DF2名良橋晃、3相馬直樹、4井原正巳、17秋田豊、MF6山口素弘、8中田英寿、10名波浩、13北澤豪(→90分14岡野雅行)、FW11三浦知良(→63分18城彰二)、32中山雅史(→63分30呂比須ワグナー)
監督:岡田武史
 
■プロフィール
川口能活
かわぐち・よしかつ/1975年8月15日生まれ、静岡県出身。180センチ・77キロ。清水商高卒業後、横浜入り。その後、ポーツマス(イングランド)、ノアシャラン(デンマーク)、磐田、岐阜を経て、現在J3の相模原でプレー。4度のワールドカップ出場を誇る日本を代表するレジェンド。プロ24年目。
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1495844917
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